院長コラム

2018年1月18日 木曜日

15周年を迎えて。〜歩んできた道のり〜



おかげさまで米澤歯科醫院は15周年を迎えることができました。
これも地域の皆様が温かく迎え入れていただいたおかげです。

早いものでもう15年になりますが、思い起こせば開業時、当時若干32歳でした。

長崎大学を卒業後(首席と言いたいですが、あまり真面目な学生ではありませんでした(笑)

神戸の歯科医院に就職し、ガムシャラに勉強させていただきました。
厳しい医院長ではありましたが、自由にさせていただきました。

精神的に追い詰められながら?必死でがんばる20代でした。
勉強することは苦にならない人間ですので、かたっぱしから本を読んで勉強しました。

歯科では高額な歯科研修会が多く存在しましたが(現在では、私の主催も含め、多数講師を務めています)、
何しろ当時貧乏で自力で勉強するしかありませんでした。
それでも矯正治療など必要なものを厳選し受講しましたが、当時年収より高かったですね。

今の時代では早いですが、27にして結婚もし、妻と二人で苦労を楽しみましたね。

しかし、私には素晴らしい出会いがありました。
師匠の下間一洋先生(矯正専門医)と本多正明先生(補綴専門医)に出会えたことです。
本多先生は親父のようなもので、無鉄砲で、無作法な私を人間教育からしていただいたと思っています。

 開業というものは、サラリーマンの子供の私には大変大変大きな勝負でした。
それに向けて邁進した20代ではありましたが、莫大な借金をして、もし何かあれば両親の家ばなくなるということです。
(兄弟、父母にお願いし、実家を担保にさせていただきました)。

開業当初32歳の私は、万全を期してきたと自負はあれど、まだまだ不安な毎日でした。
そんな時、師匠が医院を訪れて、私を励ましました。

『米澤、ブレるなよと』。

多くの弟子たちを見てきて、開業すると、儲かる方へ、経営に専念する歯科医が多いのです。
私は、この学術の世界で病院をまかない、身を立てていくと決心したのですが、嬉しい一言でした。
 
開業後、順調に全てが進みました。

しかし、医院経営の方は、開業後3年くらいで起こったリーマンショックとともに一時傾きました。

住宅地の開業なので、どこかで頭打つことは予想はしていましたが、医院にとって試練でした。
それから、学術だけでなく患者さんの満足度や、接客もスタッフ皆で考えるようになりました。

よくある、歯科医にぶら下がっている(たかる?)経営コンサルタントには手を出しませんでした。
出してはいけないと、若い先生には私は今では指導しています。

等身大の技術以上の経営をすべきではないと思うのです。

医業はサービス業ですが、商売ではありません。
ですので、歯科に関しては貪欲な向学が必要ですが、経営に関しては等身大かそれ以下のもので十分です。

患者さんがいい迷惑です。経営の勉強ばっかりしている歯科医院には、私でしたら通いたくありません。

 そして、開業して15年。
おかげさまで、私には想像できなかったほど、歯科界で名が売れるようになりました。

今年は戌年を代表する歯科出版社の新聞まで掲載させていただきました。




全ては患者さんのために。
様々な活動を通してさらに研鑽し、患者さんのためになるよう、スタッフ一同努力していく所存です。



米澤歯科醫院 米澤大地

投稿者 米澤歯科醫院